【奇妙】路線バス/HN:0.血苺

路線バス/HN:0.血苺

彼はいつもより早く部屋を出た。通勤には、バスと地下鉄を乗り継がなくてはならない。今日は午前中に会議があり、その下準備の為に早出したのだった。

普段より三本も早いバスが到着した。だが、乗車扉は開かずに後ろの降車専用扉だけが開いた。運転手が立ち上がる。どうやら、車椅子の乗客が降りるらしい。

運転手の手を借りて降りてきたのは、物腰の柔らかい、初老の男性だった。男性は運転手に軽く会釈し、去って行った。

「今日もかよ…」

そんな呟きと忌々しげな舌打ちが、彼の後ろから聞こえた。聞き覚えのあるその声に、思わず彼は振り向いた。

同じアパートの隣に住む、彼と同年輩の男が立っていた。ゴミ出しの時などに顔を合わせると、気さくに挨拶してくる愛想の良い男だ。

彼は苦笑してみせた。

「まあ、そんな苛々しないで…ほんの数分のロスでしょう」

隣人はバツ悪そうに肩を竦めた。

「いや…別に足の不自由な人に偏見がある訳じゃ無いんですけどね」

バスに乗り、並んで立つと、隣人は続けた。

「…ジンクスなんですよ」
「ジンクス?」
「そうです。どうゆう訳か、あの車椅子の男に会うと、仕事でヘマするんです。必ずね」

そう言って顔をしかめた。

「それに気付いてから、何とか会わないように時間をずらしたりしてるんだけど…まるでこっちの気持ちを読まれてるみたいに、必ず会っちまうんですよ」
「……」
「俺にとっては疫病神なんです…あの男」

本気で言っているのか…?彼は呆れて相手を眺めた。つり革にぶら下がるように掴まり、ため息を吐いているその姿は、見るからに草臥れたサラリーマンだった。

そんなネガティブな姿勢だから、仕事も上手くいかないのだ。それを、罪もない車椅子の男性のせいにするなんて…疫病神?…なんて突拍子のない事を考えるのか…

その日の会議。終了後、彼は落ち込んでいた。充分に下準備して臨んだと言うのに、思わぬミスがあったのだ。それを上司に指摘され、つい口答えしてしまった為に、厳しく責められる羽目になったのだ。

就業後、同僚に誘われて呑みに行った。

「部長も、虫の居所が悪かったんだな…元気出せよ」

そんな慰めに、彼は力無く笑ってみせた。

ふと、脳裏に今朝の、車椅子の男性の姿が浮かんだ。…疫病神…いや、まさか。何を考えてるんだ、俺は…


翌日、いつものバス停。その日は 普段通りの時間だった。バスが到着し、降車扉が開く…運転手が立ち上がった。

「!…」

あの男だった。車椅子の初老の男性。

“…時間をずらしたりしても、会ってしまうんですよ…”

隣人の台詞を思い出した。いや、関係無いさ。彼はかぶりを振った。

「…申し訳ありません。すぐに送り直します」

受話器を握る手に、汗が滲み出た。取引先の怒りは治まらない。次々に罵声を浴びせられた。データの送信ミス…こんな事は初めてだった。

電話を終え、パソコンに向かった彼を

「…くん、ちょっと」

電話の内容を察したらしい部長が呼びつけた。

昨日に引き続いての部長からの怒号。これは、かなり堪えた。おかしい…こんなの、まるで自分らしくない…

又しても、あの車椅子の男性の姿が浮かぶ。馬鹿な…偶然に違いない。

「大丈夫か?」

心配そうに声を掛けてきた同僚の表情が、どこか愉し気に見える。彼は落ち着かなかった。

翌日も、その翌日も、車椅子の男性は彼の乗るバスから降りてきた。偶然とは思えなかった。

会社では、大小さまざまなミスが続いた。偶然とは思えなかった。

同僚も、もう慰めの言葉すら掛けて来なくなった。女子社員たちの彼を見る目に、侮蔑が浮かんでいる気がした。

疫病神なんて、信じない。けれど…

彼は暫く、バスの利用を止めた。ただの気分転換だ…そう、自分に言い訳した。

駅までは、徒歩だと30分近く掛かる。勿論、自転車を使えばもっと早いが、駅の駐輪場は登録制で、登録は年度始めに締め切られている。違法に駐輪すると、容赦無く撤去されてしまうのだった。

朝早いのは辛かったが、平穏な日々が続いた。

「…悪魔とか死神とかってさ、きっと、見た目では分からない姿であらわれるんじゃないの?」

そんな声を耳にしたのは、彼が昼食をとっていた食堂だった。何気に目を向けると、数人のサラリーマンが賑やかに食事している。

「どうゆう意味?」
「だからさ…芝居とか小説に出てくる悪魔や死神って、黒装束だったりして記号化されちゃってんじゃん。そんな、分かりやすい姿してたら、ターゲットにすぐばれそうなもんだろ?…そんで、思ったわけ。実際には、もっと人畜無害な姿してるんじゃないかって…幼い子どもとか、年寄りとか」

「なるほど」
「まあ、そんなモンが実在すりゃあな」
「……」

最後は笑いで終わったサラリーマンたちの会話を、彼は妙に感慨深げに訊いた。

駅まで歩く日々は続いている。

気分転換が功を奏したのか、この所は仕事も順調だ。同僚や女子社員たちの目線も気にならなくなってきたし、部長に呼ばれてドギマギする事も無くなった。

だが彼は、そんな事にホッとしている自分を情けなく思った。…これが本来の自分ではないか。もっと自信を持たなくては! そう、自分を叱咤しながらも、バス通勤に戻す気にはなれなかったのだが。

そんな、ある朝の事。駅まで歩き出した彼の目に、思い掛けないモノが飛び込んできた。…車椅子…

「!!!」

その車椅子に乗った人物は、彼と同じ進行方向に進んで行く。やはり、あの男性だった。

枝道に曲がる時、男性は彼の方を向いて、ゆっくり会釈した。

「……」

彼は暫く動けなかった。

会社に着いてからも、彼は不安に慄いていた。今日は別に、バスで会った訳じゃ無いから大丈夫かもしれない。…でも、まともに顔を合わせてしまった。挨拶までされた。

彼はいつも以上に慎重に、その日の業務をこなした。間も無く就業時間を迎える。あとは、得意先にデータを送信すれば終了だ。

「!…」

送信寸前に気付いた。又しても、別のデータを送るところだった。過ちは回避したものの、資料の作り直しを余儀なくされて、残業する羽目になった。

漸く会社を出たのは、10時過ぎだった。送信するまで、何度もデータを見直しした為だ。…取り敢えず、ミスは無かったのだから良かった。彼は安堵のため息を吐いた。

「あれ?こんばんは」

突然声をかけられて、彼は振り返った。

「…ああ…」

声の主は、アパートの隣人だった。

「こんなに遅くまで残業ですか?ご苦労様です」

隣人は屈託無く言って微笑んだ。

「…はあ、そちらこそ…」
「ああ、僕は…この近くの得意先の人と呑んでましてね。その帰りですよ」
「そうでしたか」

彼は暫く躊躇ってから、訊ねてみる事にした。

「…以前、バス停で言ってましたよね。ジンクスの事」
「…ジンクス?」
「…車椅子の…」
「ああ」

隣人は苦笑した。

「疫病神の話ですね。いやあお恥ずかしい…呆れましたでしょう」
「いや、そんな…」

彼も釣られて笑い、さりげなく続けた。

「…それで、あの日もやっぱり、何か有りましたか?」
「あの日ですか?…そう言えば何も無かったなあ」

隣人はあっさりと答えた。彼は拍子抜けした。

「何も無かった?」
「ええ、何も…やっぱりただの思い過ごしだったんですかね、疫病神なんて」
「……」

彼は釈然としなかった。だったら、今までの自分は何なのだ?

「いや、待てよ…それとも…あなたに話した事で、何とゆうか、運命が変わったのかもしれないな」
「え?」
「何しろ、人に話したのはあの時が初めてでしたからね」
「…運命が変わった…」

隣人は照れ臭そうに頭を掻いた。

「すみませんねえ、又こんなバカな話して…酔ってんのかな~、俺」
「……」

今度は釣られて笑えなかった。

「まあ、あれから不思議とあの人とは会わなくなって…俺も営業所の移転で通勤経路も変わりましたから、もう心配は無いんですよ」
「ところで、どうです?…タクシーで帰りませんか。割り勘なら、大した金額じゃないでしょうし」
「ああ…いや…」

彼は慌てて言った。

「せっかくですが、ちょっと寄る所が…失礼します」

なんとなく、隣人とは一緒に帰りたく無かったのだった。

運命が変わった…?

翌朝、彼は寝坊してしまった。駅まで歩く余裕は無い。流しのタクシーを止めようにも、そんな時に限って全く通らないのだった。

気がつくと、バス停の前まで来ていた。丁度いいタイミングで、バスがやって来た。…遅刻するわけにはいかない。彼は列に並んだ。

バスが到着した。降車扉が開く。運転手が立ち上がる…やはり、乗っていた。車椅子の男性だ。

「くそっ!なんて事だ」

思わずそう、毒付いていた。

彼の前に並んでいた婦人が振り返った。

「そんな言い方は良くないですよ。困った時はお互い様でしょう」
「!…」

彼はその婦人を見返した。キチンとスーツを着こなした、いかにも見識だかそうな女性だった。

…俺も、こんな傲慢な表情で、隣人を窘めたのだろうか。

彼はわざと下卑た表情を浮かべて言った。

「いや、実は…ジンクスがありましてね…」

 
  • 匿名

    もう一つの怖さは、都心に勤める、そこそこ仕事が出来るリーマンでも、バスと電車で通うようなアパートにしか住めないって現実だな。
    自動車通勤だって認められてないし、そもそも維持が大変で(駐車場代含め)持てなかったりするし。

    うちの会社も、都心じゃないけど23区内にあるけど、社宅や寮はエラい離れた場所にあるから(通勤に一時間半掛かる)皆あまり住みたがらないんだよね。

     
  • 0.血苺

    素敵な感想、勿体無いお言葉をありがとうございました。恐縮です!

    “彼”は、旦那の友人がモデルで
    超常現象なんか鼻で笑うようなリアリストなんです。そんな彼が気弱になっていたのが印象に残り、ちょっとアレンジして書いてしまいました^^;

    車椅子の方を疫病神にしてしまい、お気を悪くされた方がいらしたら申し訳ありません。
    私はむしろ、バスに乗り遅れそうな時に車椅子の方が降りられていたおかげで間に合い、助けられたことがあります。
    キビキビ作業する運転手さんの姿に、ちょっと惚れ惚れしたり…と、これは余談でした!

     
  • 紫姫

    読みごたえ有りました[s:18270] 死神や疫病神は 気づかぬ様に、近寄って ターゲットON[s:18241] する様で いつか 巡り 巡って 私を… 怖さ満点[s:20543][s:20543][s:20543]

     
  • 匿名

    天草さんも仰ったように「世にも奇妙な物語」やショートショートの1話のようで、とても面白かったです。
    また新たな0.血苺さんの作風に触れることができ嬉しかったです。

    今までの、ほのぼの系も、またお願いします。

    色々なジャンルの作品を書くことができて素晴らしいですね。

     
  • ののの

    すごい面白かったです。
    私も学生の頃はジンクスとかやたら信じてました(^^ゞ今でも気にしてしまうときありますね…。
    気にすればするほどよくない事が起こるのかな?
    疫病神や悪魔が日常生活にさりげなく存在してるってなんか妙にうなずけました。

     
  • ロビンM

    素晴らしい、面白かった!
    成る程、俺が毎日ヘマをしているのはジンクスのせいだったのか!!…ひひ…

     
  • 天草

    世にも奇妙な物語みたいで面白いです!!

    爽やかな空気が陰鬱になっていく様、最後の主人公の表情が見えるようです。
    拍手ぽち

     

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