【怪文書】瞳に映る自分/HN:すててこ

自分が何ものかを考える際、一つの手段としてまわりを観察する、というものがある。まわりを観察し、そうして自らが何者か、その像を結ぶのだ。

この操作の有効性は、自分という存在が他者に影響を与えていることを示すだろうし、逆もまた示すだろう。今回はそういう話しだ。

 
自分探しをし続ける若者がいた。彼は自分が何をしたいのか、どういう者なのかを知るためにいつも自分とかかわる他者を観察していた。しかし、一向に「自分」という存在を掴むことはできなかった。

自分というのは空っぽなのかもしれない。

そう思うのも無理はない。先ほどの議論からすれば、まわりを理解しても自分が見えないということは自らの影響の少なさを意味してしまう。彼は落胆した。

ただ、彼は頭が悪い方ではなかった。視点を変え、今度は自らを観察したのだ。自分を鏡にうつし、そして今まで培った観察力をぶつけてみた。そこに何かが見つかると信じて。

………これは?

 
ここで理屈の話しを少し。

もし彼が十分な観察力をもってしてこの行為を成功に結びつけようとした、としよう。
彼は鏡の中の自分を他者と見なして像を結んだことになる。
すなわち本当の自分の大部分を捨てて、自分を見出そうとしていることに他ならないのだ。
今まで培った客観を見る力は主観との境界を超え、自らを含むほとんどすべてを他者と決め込む力に変貌するだろう。

 
これが僕だったのか。

彼が半ば自分を捨て去り、自らに結んだ像は「敵」であった。

当然といえば当然かもしれない。他者と見なされた自己は同族嫌悪の対象でしかないだろう。しかし、どこか理解はしていた。頭の良い彼はうすうす感づいてはいたのだ。

だから彼は吠えた。他者をいくら観察しても無意味なことも今なら納得できる。そして目の前の自分ももはや「敵」にしか見えない。彼は吠え続けた。

こんなことを続けても「他者」を怒らせるだけだと知っていても。

 
 
「ペルー、鏡に吠えても仕方ないでしょう」

 
  • 匿名

    実は犬だった…
    犬ってそんな思考を持つの?

    初めの7行ですが何かの哲学書からの引用ですか?
    それは無いと思いますがね

    ユングは言っています。「己を知りたければ無意識を意識すること」だと。
    大分はしょりましたが十分でしょう。
    現代哲学の流れです。

    また、肉を加えた犬が川を覗き水面に映る自分に吠えて肉を落としてしまう。この話の内容や意味はご存じですか?
    知っているのならこのような常識しらずな文章は書けないと私はこの思いますね

    久々に頭にきました。

     

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