善き行いは……/HN:タケミカヅチ

地震が起きたあとから、近くのスーパーのサッカー台には、震災の為の募金箱が置かれた。

買い物をする度に、そこに小銭を少しづつ落とした。

少しはこちらも揺れて、多少は物も壊れたが、それでも元気だし、住む所もあるのだから、自分は恵まれている。

無理なく続ける為に、ほんの少しづつ。ほんの少しを毎日、毎日。

いつまで?

それは『私の心が折れる』か『この募金箱が店頭から消える』か、もしくは『この町のあちこちの建物にかかるブルーシートが消えて、日常が来たと思えるか』などのどれかパターンだろうか。

多分、いつか、私の心が折れる。無理しない、をモットーにしているが。

毎日、毎日、ちょっとずつ小銭を落とす。無理しない為にたまに休む。

毎日、毎日、私自身にも辛い事は多かったけれど、自分にはこう言い聞かせた。

『何か良い行いをしたから自分に返る。あれは嘘だ。そんな事を考えたら、心が折れる事もある。自分を助けるのは自分だけ。けれど、善い行いは清々しい心地にしてくれる、いわば癒しだ』

この考えを、今でもそう間違えてはいないと思う。見返りなどは求めず、ひたすら自分がそうしたいから、清々しくて気持ちが良いから、という為だけに進もう、と。

そもそも小さ過ぎて、善い行いと言うのもおこがましいけれど。

ある日、電話が鳴った。銀行からで、

「落としたキャッシュカードが警察に届けられてます」

との事だった。

電話が入って、初めて財布から無くなっているのに気付いた。

幸い、その口座は子供の学校の給食費などの振り込み用に、学校から指定された銀行に開いたもので、それ以外は使用していない。

銀行の人に確認をとったが、悪用された形跡もないようだ。振り込み用なので、たいした金額も入ってない。

警察に電話を入れ、取りに行く約束を交わし、落ち着いてから、あっ、と思う。

震災後、子供がストレスをためていたから、気晴らしに習い事を始めたばかりだ。その月謝の初めての引き落としが明日だった。同じ銀行指定されたから、この口座を使用していたのだ。

この引き落としをすっかり忘れていた。通帳でもATMは使える。慌てて通帳を掴み、近くの銀行のATMに走る。

このまま気付かなくて、その後に来る学校の方のお金の引き落としが、気付かないまま足りなくなるところだった。

まるで、誰かが教えてくれたみたいだ。

しかも、キャッシュカードが、ちゃんと誰かの手により届けられている。これも有り難い事だ。

小さな善い行いは、いつか巡り巡って自分に返る。それは、少しばかり先になるとしても。

そんな事もあるんだろう、そう思えた。

ATMに行ったあと、いつものスーパーに寄り、いつもの募金箱に小銭を落としながら、心の中で『ありがとう』とそっとお礼を述べた。


小さな行いには、小さな良い事が返る。見知らぬ誰かの善意が、私にも返ってきた。世の中は、案外に悪くない。

けれど、これからも私は期待はしない。善い行いは清々しい気分になる為の『癒しの行為』それで良いのだと思う。

やらないよりも、やる方が、マシだろう、そんな気軽さで。そして無理せず、地味に地道に。心が疲れ気味の日は、休みながら。

期待しないから、細やかな『良い事』に素直に喜べる。それは、とても、幸せな事だ。


でも、やっぱり良い事をすると、自分に返る……らしい。多分、悪い事も同じだろう。

スピリチュアル3/怖い話都市伝説etc